光る君へ46話ネタバレ!!さらば敦康親王!
光る君へ46話ネタバレ!!さらば敦康親王!〜道長よどこへ行く
穏やかな冬の日、私は頼通や彰子と言葉を交わしていた。まだ21の若さで、この世に生を享けてからそう長くはない。父上である一条帝が崩御されてから、私の人生は藤原道長によって塗り替えられていった。
皇位継承の正統な権利を持ちながら、その座は叔父の三条帝に譲らねばならなかった。それでも私は恨みを抱くことなく、この世を達観するように努めてきた。それは、周りの人々が私に注いでくれた深い愛情のおかげだろう。
今、頼通や彰子と和やかに語らう時間は、私にとって何よりも幸せなひとときだ。ふと、胸に鋭い痛みが走る。座り込んでしまった私を、彼らは心配そうに見つめている。
思えば、私の生涯は道長によって奪い尽くされたと言えるのかもしれない。しかし不思議と、その事実に苦しみはない。むしろ、こうして最期まで温かな人々に囲まれ、穏やかに生きられたことを、密かな幸せと感じている。
21年という短い生涯。皇位には就けなかったけれど、この日々は決して無駄ではなかった。私は誰かの道具として生きたのではない。自分なりの尊厳を持って、精一杯生きたのだから。
胸の痛みが増していく。もう長くはないだろう。でも、私は満足している。最期にこうして、愛する人々と共に在れることに…。
私、敦康親王は、この世に生を受けたことを、心から感謝して旅立とうと思う。道長によって奪われた人生ではあったが、それでも、私は私らしく生きることができた。それだけで、十分なのだから…。
平安の都の夜空に、満月が煌々と輝いていた。私、藤原道長は、この世で最も権力を掌握した男と謳われている。だが今宵、土御門殿の宴で詠んだ「望月の歌」には、まさに逆説的な想いを込めていた。
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる事も 無しと思へば」
表向きには、私の三人の娘たちが后の座を独占し、権力の頂点に立った誇りの歌と解されるだろう。しかし、その時の私の心中は全く違っていた。むしろ追い詰められ、半ば自嘲的な想いで詠んだのだ。
歌を詠み終えた時、私はまひろ…紫式部に視線を向けた。彼女を見る度に、私の心は「ここから救い出してくれ」と密かに叫んでいたのかもしれない。権力という重圧に押しつぶされそうになる私を、誰かに救ってほしいという願いが、知らず知らずのうちに込められていたのだ。
まひろの前では、私は权力者としての仮面を脱ぎ捨て、かつての「三郎」という幼名で呼ばれた頃の素直な自分でいられた。この「望月の歌」も、実は「今宵は良い夜だ」という、より素朴で率直な感情の表現だったのかもしれない。
史書『小右記』に記された実資の記録では、私の詠んだ歌の漢字にも誤りがあったという。それは、まるで私の権力者としての完璧な表の顔と、内なる脆さを象徴しているかのようだ。
この歌は、栄華を極めた者の傲慢な宣言ではない。むしろ、権力の重圧に押しつぶされそうになりながら、それでもなお前を向いて生きようとする、一人の人間としての祈りだったのだ。