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藤原道長の語りで【光る君へネタバレ32話】あらすじ解説「誰がために書く」

光る君へ

道長の視点からとまひろの支視点からであらすじをそれぞれ紹介しています。同じ物語でも視点を変えると、またちょっと違って見えるかもしれませんので、是非読んで行ってください。

目次

藤原道長の語りで【光る君へネタバレなし32話】あらすじ

皇女の成長と権力の均衡

寛弘二年の春、一条帝と亡き定子の遺児である脩子内親王の裳着の儀が執り行われた。この儀式は単なる成人の祝いではなく、朝廷の力関係を映し出す鏡となった。

一条帝は、かつて失脚した藤原伊周を公卿の席に着かせるよう命じた。これは明らかに私への牽制であった。帝の意図は見え透いていたが、私はこれを受け入れざるを得なかった。

儀式の後、私は漢詩の会を開き、伊周と隆家の兄弟も招いた。敵を許す度量を示すことで、私の器の大きさを周囲に印象づけようとしたのだ。

しかし、一条帝の要求はそれにとどまらなかった。帝は伊周を陣定に参加させるよう私に命じた。これは公卿の序列を乱す行為であり、難しい要求であった。私は慎重に答えるしかなかった。「難しきことながら、諮ってみましょう」と。

物語作者との出会いと新たな展開

この頃、私は一人の才能ある女性、まひろに注目していた。彼女の書いた物語を一条帝に献上したが、帝の反応は芳しくなかった。しかし、まひろは落胆する様子もなく、むしろ自分の信じる道を進む決意を語った。

私は彼女の才能を藤壺で活かせないかと考えた。まひろを彰子の女房として招き入れることで、一条帝の藤壺への関心を高められると踏んだのだ。

思いがけず、一条帝が藤壺を訪れた際、帝はまひろの物語に興味を示した。私の計略は功を奏しつつあった。まひろは父・為時と相談の末、藤壺の女房となることを決意した。

陰陽師の死と政争の激化

寛弘二年の秋、私の信頼する陰陽師、安倍晴明が危篤に陥った。彼は最期の時に、我が家の栄華を予言しつつも、光と影の深まりを警告した。晴明の死は、来たるべき激動の予兆のようであった。

十一月、一条帝は再び伊周を陣定に召し出す宣言をした。これは明らかに私への挑戦であった。しかし、私はこの状況を冷静に観察し、次の一手を練っていた。

内裏炎上と権力闘争の激化

皮肉にも、伊周の陣定復帰が決まった直後、内裏が炎上するという事件が起きた。この出来事は、朝廷内の権力闘争に新たな火種を投じることとなった。

東宮は火災を祟りだと主張し、一条帝の退位を示唆した。一方、伊周は火災が自身の復帰に反対する者の仕業だと訴えた。両者とも、この事件を自らの立場を有利にするために利用しようとしていたのだ。

この混乱の中、まひろは藤壺の女房として正式に出仕した。彼女の才能が朝廷にどのような影響を与えるか、私は興味深く見守っていた。

権力の均衡が崩れ、新たな局面を迎えつつある朝廷。私、藤原道長は、この激動の時代をどのように乗り越え、我が家の栄華を築いていくべきか。晴明の警告を胸に、慎重に、そして大胆に次の一手を打つ時が来たのだ。

まひろの語りで光る君へネタバレ32話を

まひろの視点から、第三十二回のあらすじを紹介いたします。

宮廷への第一歩

寛弘二年の春、私は人生の大きな転機を迎えていた。藤原道長様が、私の書いた物語を一条天皇に献上してくださったのだ。父・為時は喜びに沸いたが、私の心中は複雑だった。宮廷という未知の世界に足を踏み入れることへの期待と不安が入り混じっていたからだ。

そんな中、脩子内親王の裳着の儀が行われた。宮廷の華やかさと権力の綾を垣間見る出来事だった。藤原伊周の公卿への復帰など、朝廷の力関係の変化を耳にするたびに、私は自分の立ち位置の微妙さを感じずにはいられなかった。

道長様が私を訪ねてこられた日、私は緊張で胸が高鳴った。「お上。過日、差し上げた物語は、いかがでございましたか」と尋ねる道長様の声に、一条天皇の評価を聞く覚悟を決めた。

「ああ、忘れておった」

天皇の反応を聞いて、一瞬胸が締め付けられた。しかし、すぐに心を落ち着かせた。「書きたいものを書こうと、今は思っております。その心をかきたててくださった道長様に、心から感謝いたしております」と答えた私の言葉は、決意の表れだった。

才能の開花と宮廷への招待

道長様が去った後も、私は筆を止めなかった。むしろ、天皇の反応に奮起し、より一層の情熱を持って物語を紡いでいった。幼い頃から父に「男子であれば」と言われ続けてきた私だが、今や自分の才能を信じ、「私は私らしく、自分が生まれてきた意味を探してまいります」という言葉を胸に刻んでいた。

ある日、思いがけず道長様が再び訪れ、驚くべき提案をされた。彰子様の女房になってはどうかと。私の中で、期待と戸惑いが渦巻いた。宮廷に上がることは、私の人生を大きく変える決断になるだろう。

父と相談した結果、私は決意を固めた。一家の経済状況を考えても、これは見逃せない機会だった。しかし、幼い賢子のことが気がかりだった。内裏は子供が育つ場所としては適していないと判断し、賢子を父に預けることにした。胸が痛んだが、これも私たちの未来のためだと自分に言い聞かせた。

宮廷生活の始まりと試練

寛弘二年の晩秋、私は藤壺を訪れ、彰子様に初めてお目にかかった。緊張で手が震えていたが、彰子様の穏やかな佇まいに少し安堵した。赤染衛門様に案内されながら内裏を歩いていると、これから始まる新しい生活への期待と不安が交錯した。

しかし、その夜に起こった出来事は、私の予想をはるかに超えるものだった。皆既月食の後、突如として内裏から火の手が上がったのだ。混乱の中、私は自分の役割を必死に考えた。物語を書くだけでなく、この緊迫した状況下でも冷静に行動し、周囲の人々を支える存在にならねばと決意を新たにした。

翌日、宮廷中が動揺する中、私は様々な噂を耳にした。東宮様はこれを祟りだと主張し、一方で伊周様は放火の可能性を示唆したという。これらの情報を聞きながら、私は宮廷の複雑な人間関係と権力争いの渦中に身を置くことになったのだと実感した。

新たな道を歩み始めて

十二月二十九日、私は正式に内裏への出仕を果たした。家族全員に見送られ、父の言葉が胸に響いた。「帝にお認めいただき、中宮様にお仕えするお前は、わが家の誇りである」。そして、「お前がおなごであってよかった」という言葉に、私は思わず涙ぐんでしまった。

内裏に到着すると、早速周囲の女房たちの好奇の目にさらされた。「物語を書く務めの女房」という前代未聞の存在である私に、冷ややかな視線が向けられているのを感じた。「物語なら家で書けばいいのにね」「女房になるなら、しっかり働いてもらいましょう」といったささやきも聞こえてきた。

居並ぶ女房たちに挨拶をする際、私は背筋を伸ばし、堂々とした態度を心がけた。周囲に流れる冷めた空気に萎縮することなく、自分の才能と決意を信じ、この新しい環境で自分の道を切り開いていく覚悟を固めた。

これから始まる宮廷生活。私はペンを武器に、自分の生まれてきた意味を探し続けよう。そして、いつの日か、私の物語が多くの人々の心に届き、時代を超えて語り継がれることを夢見ながら、新たな一歩を踏み出したのだった。

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