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【光る君へネタバレ】第35回。「中宮の涙」2024年9月15日。最終回まであらすじ解説!!

【光る君へネタバレ】第35回。「中宮の涙」2024年9月15日。最終回まであらすじ解説!!

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【光る君へネタバレ】第35回あらすじ予想。2024年9月15日放送予定

私、まひろは、藤原道長様の命により、金峯山寺への参拝の様子を見守っておりました。道長様一行の旅は、まさに命懸けの難行でした。険しい山道を一歩一歩進み、京を出発してから九日目にようやく金峯山寺の山上本堂にたどり着いたのです。

道長様は到着するや否や、さまざまな仏事を催されました。私は遠くから、道長様が本堂の蔵王権現に、みずから書き写された経典をささげ、経塚に埋める様子を見守りました。道長様の真剣な表情に、彰子様の懐妊を望む切なる願いが込められているのを感じ取りました。

都に戻った道長様は、私がいる藤壺にお越しになり、一条天皇様と中宮・藤原彰子様の様子をお尋ねになりました。私は「お変わりございませぬ」とお答えしましたが、道長様の表情が一瞬曇るのを見逃しませんでした。身を危険にさらしてまで彰子様の懐妊を祈ってこられたのに、その願いはまだかなっていないのです。

旅の疲れが残る道長様でしたが、私が「光る君」の物語を書き進めていることをお聞きになると、その場で読み始められました。私は少し緊張しながら、道長様の反応を窺っていました。物語の中で、光る君の不義密通の話が描かれている箇所に差し掛かると、道長様は読むのを中断され、私に尋ねられました。「どのような心積もりでこれを書いたのか」と。

私は正直にお答えしました。「わが身に起きたことにございます。ひとたび物語となってしまえば、わが身に起きたことなぞ、ささいなことになってしまうのでございます」と。道長様は深く頷かれ、私の言葉を理解してくださったように思えました。

後日、中宮・彰子様が「光る君」の物語の続きをお読みになった際、私は彰子様のそばに控えておりました。彰子様は、登場人物である「若紫」について、「まるで自分のようだ」とおっしゃいました。私は彰子様の言葉に深い意味を感じ取りました。幼い頃に入内し内裏で育った彰子様が、幼いうちに光る君に引き取られて育てられる若紫の姿に、自分と共通するものを感じておられるのです。

彰子様は「この娘は、これからどうなるのであろうか」とお尋ねになりました。私は「中宮様はどうなればよいとお思いでございますか」とお返しすると、彰子様は少し躊躇いながらも「・・・・・・光る君の妻になるのがよい」とおっしゃいました、、、。

続きはテレビで見てください

藤原伊周の生涯:才能と悲劇の貴公子

今回は藤原伊周の生涯を紹介しましょう。

序章:天才の誕生

974年、平安京に一つの星が生まれました。それが藤原伊周です。北家九条流の重鎮、藤原道隆の嫡男として生を受けた伊周は、生まれながらにして才能と美貌を兼ね備えていました。「小千代」と名付けられた幼少期から、彼の周りの人々は彼の並外れた才能に気づいていたのです。

特筆すべきは、伊周の文才でした。外祖父の高階成忠を始めとする高階氏一族の薫陶を受け、伊周は幼くして卓越した教養を身につけました。その才能は、後に「属文の卿相」と呼ばれるほどの域に達し、一条天皇に漢籍を進講するほどの学識を誇りました。

第一章:華々しき出世

伊周の人生は、まさに平安貴族の理想そのものでした。12歳で元服し、「伊周」と名を改めた彼は、驚くべきスピードで出世の階段を駆け上がりました。わずか21歳で内大臣にまで上り詰めた伊周は、まさに時代の寵児でした。

しかし、この急速な昇進は、後の悲劇の伏線となりました。父・道隆の強引な引き立ては、朝野の不満を募らせ、後に伊周への反発を招くことになるのです。

第二章:政争の渦中へ

995年、伊周の人生は大きな転換点を迎えます。父・道隆の死後、関白の座を巡って叔父の藤原道長との政争に巻き込まれたのです。この政争は、伊周の才能と野心、そして道長の政治的手腕が激突する、まさに平安朝の権力闘争の縮図でした。

伊周は、一条天皇の寵愛を受ける妹・定子を通じて朝廷への影響力を保とうとしましたが、道長の巧みな策略と、天皇の母・詮子の支持を得られなかったことで、次第に劣勢に立たされていきました。

第三章:長徳の変と失脚

996年、伊周の運命を決定づける事件が起こります。それが「長徳の変」です。花山法皇への不敬事件を契機に、伊周は大宰権帥への左遷という屈辱を味わうことになります。

この事件の真相は今も謎に包まれていますが、伊周のファンとしては、これが政敵による陰謀だったのではないかと考えずにはいられません。才能ある伊周への嫉妬と恐れが、この事件の背景にあったのかもしれません。

第四章:復権への道のり

しかし、伊周の才能は簡単には消し去ることができませんでした。大赦により召還された後、彼は徐々に朝廷での地位を回復していきます。特に、妹・定子が産んだ敦康親王の伯父という立場は、伊周の政治的復権に大きな意味を持ちました。

1005年には朝議への参加を許され、1008年には准大臣の地位を得るまでに至ります。この間、伊周は「儀同三司」を自称し、その才能と気概を示し続けました。

第五章:悲劇の最期

しかし、運命の女神は伊周に微笑みませんでした。1009年、中宮彰子と皇子への呪詛事件に連座し、再び朝廷から遠ざけられます。そして翌1010年、わずか37歳という若さで、この世を去ったのです。

その最期は、まさに才能ある貴公子の悲劇そのものでした。臨終の際、娘たちに「宮仕えをして、親の名に恥をかかせることをしてはならぬ」と遺言し、息子には「人に追従して生きるよりは出家せよ」と諭したという伝承は、伊周の誇り高さと、同時に深い悲しみを物語っています。

終章:不滅の才能

藤原伊周の生涯は短くも華々しいものでした。その才能は、漢詩文や和歌の分野で花開き、多くの秀逸な作品を残しています。『本朝麗藻』『本朝文粋』『和漢朗詠集』に収められた彼の作品は、今なお多くの人々の心を打ち、その感慨に富む筆致は時に読む者の涙を誘うほどです。

『大鏡』が評したように、伊周の才能は「日本のような小国にはもったいなかった」のかもしれません。しかし、その才能と悲劇的な運命は、千年の時を超えて今なお私たちの心を揺さぶり続けているのです。

藤原伊周 ― その名は、才能と野心、栄華と没落が交錯する平安貴族の世界を象徴する、永遠の輝きを放つ星なのです。

光る君へネタバレ最終回〜藤原彰子の灼熱の告白:紫の光に導かれし我が人生

宿命の炎

私の魂は、永遠に燃え続ける炎のようだ。永延2年(988年)、藤原道長の長女として生を受けた瞬間から、その炎は激しく揺らめいていた。権力と陰謀の渦巻く宮廷で、私の運命の炎は燃え盛り、やがて平安時代を照らす大きな光となるのだ。

若き獅子の咆哮

12歳で一条天皇の後宮に入り、翌年には中宮となった私。その重責は、幼い私の肩に山のようにのしかかった。しかし、私の内なる炎は決して消えることはなかった。むしろ、その重圧こそが私を鍛え上げ、強靭な精神を育んでいったのだ。

夜な夜な、私は涙を流しながらも、決して諦めることはなかった。この苦難こそが、私を真の女性へと変えていく糧になると信じていたのだ。

運命の出会い:紫の光

そして、寛弘5年(1008年)。私の人生を永遠に変える出会いが訪れた。紫式部――その名は、今も私の心を熱く揺さぶる。彼女との出会いは、まるで乾いた大地に降り注ぐ恵みの雨のようだった。

紫式部の才気は、私の魂を震わせた。彼女が『源氏物語』を紡ぎ出す姿は、まさに神業だった。私たちは夜を徹して語り合い、時に涙を流し、時に大声で笑い合った。彼女との時間は、私にとって息をするのと同じくらい自然で、必要不可欠なものとなっていった。

母としての熱情

寛弘5年、私は壮絶な難産の末、敦成親王を産み落とした。30時間を超える苦痛の中で、私は何度も意識を失いかけた。しかし、そのたびに紫式部の声が私を現実へと引き戻してくれた。「彰子様、もう少しです。あなたなら必ずできます!」――その言葉が、私に底知れぬ力を与えてくれたのだ。

我が子を抱きしめた瞬間、私の中で何かが大きく変わった。この子のために、この国のために、私は何があってもこの身を捧げる覚悟を決めたのだ。

政治の荒波を越えて

父・道長との確執、朝廷での陰湿な権力争い――私は、そのすべてに立ち向かった。時に涙を流し、時に怒りに震えながらも、決して諦めることはなかった。紫式部の冷静な助言が、いつも私の心の支えとなった。

「彰子様、あなたの強さは誰にも負けません。ただ、その強さを賢く使うことが大切なのです」――彼女のその言葉が、私の人生の指針となった。

文学という魂の叫び

『源氏物語』は、私にとって単なる物語ではない。それは、人間の魂の叫びそのものだった。紫式部と共に物語の世界に浸る時間は、この世の何物にも代えがたい至福の時だった。

「紫よ、あなたの筆は魔法の杖のようだわ。それは人の心を揺さぶり、魂を浄化する力を持っている」――私はそう伝えた。彼女は照れくさそうに微笑んだが、その瞳には誇りの光が宿っていた。

永遠の絆

今、87歳となった私は、人生の終わりが近いことを感じている。しかし、恐れはない。なぜなら、私の魂は紫式部との絆によって永遠に生き続けるからだ。

紫よ、あなたとの日々は私の人生そのものだった。あなたの才気、優しさ、そして強さは、永遠に私の中で輝き続ける。たとえこの身は滅んでも、私たちの魂の炎は決して消えることはないだろう。

私、藤原彰子は、誇りを持ってこう宣言する。「私の人生は、紫式部という比類なき光に導かれた、燃え盛る情熱の軌跡だった」と。

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