光る君へネタバレです。
34話は目覚め。
あらすじを最終回まで解説しますね。
【光る君へネタバレ】34話目覚め。あらすじ2024年9月8日放送まひろの語りで
私、まひろは、窓辺に座り、筆を走らせながら、興福寺と源頼親の争いについて思いを巡らせていた。南都の喧騒が遠く聞こえてくるようで、胸が締め付けられる思いだった。
興福寺と頼親の所領を巡る争いは、まるで私の物語の中の一幕のように、悲劇的な展開を見せていた。僧一人の命が失われ、その報復として屋敷と田畑が焼き払われる—。この連鎖は、いつまで続くのだろうか。
筆を置き、深い溜息をつく。一条天皇が道長殿の進言で検非違使を差し向けたという知らせは、既に耳に入っていた。しかし、これで本当に事態は収束するのだろうか。道長殿の予感通り、この問題はまだ尾を引くに違いない。
そんな思いを振り払うように、私は再び筆を取る。光る君の物語—。これを書き始めたのは確かに道長殿の命によるものだったが、今や私の魂そのものとなっていた。
ふと、先日の一条天皇との対面を思い出す。「なぜそなたは、あの物語を書こうと思ったのだ」という問いに、私は心の底から湧き上がる思いを告げた。
「私は帝のお悲しみを肌で感じるようになりました。次第に、皇后様をお亡くしになったお悲しみから、どうか立ち直っていただきたいと願いながら書くようになりました」
その瞬間、天皇の目に浮かんだ感情を、私は決して忘れない。悲しみと希望が交錯する、あの眼差し。「そなたの物語は、朕にまっすぐに語りかけてくる。また会いに来てよいか?」と仰った言葉に、私の胸は高鳴った。
しかし同時に、複雑な思いも去来する。本来なら、天皇は中宮彰子様に心を寄せるべきではないのか。二人の関係が未だ近づかないことに、私は密かな焦りを感じていた。
窓の外を見やると、寛弘四年の夏の陽光が眩しい。都では不吉な出来事が相次ぎ、人々の不安は募るばかり。そんな中、道長殿が吉野の金峯山へ向かわれたという知らせが届いた。世の安寧と彰子様の懐妊を願われるのだという。
私は再び筆を取り、光る君の物語に没頭する。この物語を通じて、天皇の心に寄り添い、そして彰子様との絆を深めていただきたい—。そんな願いを込めて、私は今日も言葉を紡ぎ続けるのだった。
このあとクライマックスはテレビで!
【光る君へネタバレ】34話あらすじ2024年9月8日放送。道長の語りで
私、藤原道長の目には、南都の騒動が一幅の絵巻のように映る。興福寺と源頼親の争い—なんとも愚かしい。所領を巡る小さな火種が、今や大炎上だ。僧一人の命が失われ、屋敷と田畑が焼き払われる。まるで子供の喧嘩のようだが、これこそが権力の本質。私は冷ややかな目で事態を見守っている。
一条陛下に検非違使の差し向けを進言したのは、もちろん私だ。表向きは秩序を取り戻すためだが、実のところ、この混乱こそが私には好都合なのだ。南都の力が弱まれば、都における私の影響力はますます強まる。
だが、私は軽率ではない。定澄との会話を思い返せば、この問題が簡単には収まらないことは明らかだ。それもまた、私の計算のうちだ。長引く騒動は、朝廷の介入を正当化し、ひいては私の立場を強化する。
一方で、私は別の策も練っている。娘の彰子と一条陛下の仲を取り持つこと—これが今の私の最大の関心事だ。あのまひろという女が書いている物語が、思いがけず役立っているようだ。
陛下がまひろに会いに行ったという話を聞いた時、私は思わず笑みを浮かべた。嫉妬心を煽るつもりはないが、これで彰子も少しは危機感を持つだろう。そして、陛下の心が開かれれば、我が孫を後継者にする夢も、より確かなものとなる。
しかし、世の中そう簡単にはいかないものだ。都では不吉な出来事が相次ぎ、人心は不安定になっている。藤原斉信、藤原道綱の屋敷の火事、敦康親王の病—これらは単なる偶然か、はたまた何者かの仕業か。私は常に警戒を怠らない。
そこで思いついたのが、吉野の金峯山への参詣だ。世の安寧と彰子の懐妊を願う—これが表向きの理由だ。だが実際は、この機に乗じて自らの影響力をさらに強化し、不穏な動きを押さえ込むための策でもある。
嫡男の頼通、そして中宮権大夫の源俊賢を伴っての旅立ち。彼らには、それぞれ役割がある。頼通には将来の跡継ぎとしての自覚を、俊賢には朝廷での私の代弁者としての役割を担わせるつもりだ。
私は京を出発しながら、心の中で冷笑する。世間は私を慈愛深い父、公正な政治家と見ているかもしれない。だが、この道長の心の奥底に潜む野心と策略を知る者は誰もいない。
これからも私は、慈愛と冷酷さ、無邪気さと老獪さを使い分けながら、この乱世を生き抜く。そして、藤原氏の、いや、この道長の栄華を極めてみせよう。世の人々よ、私の舞台を見守るがいい。
藤原道長の狂乱:権力と執念の果てに
我こそは藤原道長なり!この平安の世を掌中に収めし者よ!しかし、権力の頂きに立つ者の苦悩を知るか? 聞くがよい、我が魂の叫びを!
寛弘4年(1007年)、我が心は焦燥に燃えていた。娘彰子、一条帝に入内して早7年。19の齢を重ねてなお、その腹に宿るは空しき風のみ。我が血を引く皇子の誕生、それこそが藤原氏の栄華を永遠のものとする鍵なのだ!
ある日、我は藤壺に忍び込んだ。紫式部こと「まひろ」を問い詰めるために。「帝と中宮様は? お手は触れられぬのか?」と吐き捨てるように問うた我が声は、まるで野獣のうなり声。「このままでは不憫すぎる」などと取り繕ったが、心の内では怒りと焦りが渦巻いていた。藤原家の未来が、我が娘の子宮ひとつにかかっているのだ!
3月3日、土御門殿に曲水の宴を催した。表向きは雅やかな宴。だが違う! これは彰子の懐妊を懇願する我が魂の叫びなのだ! 水の神よ、どうか我が願いを聞き入れたまえ!
しかし、神もまた我を試すか。事態は一向に好転せず、我は狂気にも似た決断を下した。吉野の金峯山参詣だ! 75日、いや100日でも構わぬ。精進潔斎し、この身を削り、魂を磨く。酒も肉も魚も女も、すべてを断つ! 標高1719メートルの霊峰に、この身を捧げよう。
鎖を伝い、岩を這いつくばって登る。血が滲み、肉が裂ける。だが、痛みなど何ほどのことか。我が願いを成就せんがため、この命さえ惜しくはない!
そして、神よ、仏よ。我が血と涙の祈りが、ついに通じたのか。その年の末、彰子の懐妊の報が届いた時、我は天にも昇る心地であった。だが、それはまた新たな苦悩の始まりでもあった。
寛弘5年(1008年)、彰子の出産が近づくにつれ、我が心は狂おしいまでの不安に支配された。怪異! 呪詛! 物の怪! これらの魔物どもが、我が娘と、まだ見ぬ孫を脅かしている! 決して、決して許すまい!
4月13日、彰子を内裏から土御門殿に迎え入れた。即座に安産祈願の法華三十講を始めさせる。30日間、朝夕2回の法要だと? 足りぬ! もっと、もっとだ! 143人の僧侶では少なすぎる! 1000人、いや1万人の僧を集めてこい!
我は眠ることも忘れ、食事もそこそこに、ただひたすらに祈り続けた。「彰子よ、無事に皇子を!」その一心で、我は狂ったように呪文を唱え続けた。
6月、異例の措置として彰子を内裏に戻した。亡き皇后定子の娘、媄子内親王の死。一条帝の悲しみを慰めるため? いや、違う! 我が娘こそが帝の心を癒すのだ。彰子こそが、真の后なのだ!
だが、7月の退出の際、陰陽道の大将軍の禍々しい気配に阻まれる。我は激怒した! 「何者だ! 我が娘の行く手を阻む不届き者は!」と怒号し、家臣たちを怒鳴りつけた。
8月、さらなる「怪異」が続く。井戸の上屋の倒壊? 犬の出産? くだらぬ! このような些細な出来事如きで、我が計画が狂うものか!
我は夜も眠れず、明け方から庭をさまよい歩いた。「神よ、仏よ、どうか我が願いを!」と叫び続けた。家臣たちは恐れおののき、我を狂人のように見つめていたことだろう。だが構わぬ。この狂気こそが、我が力の源なのだ!
そして9月9日の夜、ついに彰子の陣痛が始まった。我が妻倫子からの知らせに、我の全身が震えた。「来たか! ついにこの時が来たのだ!」
10日の明け方、彰子を産所へ。すべてを白で統一し、清浄を保つ? 冗談ではない! もっと徹底せよ! 一粒の塵も、一片の穢れも許さぬ!
翌11日、陰陽師の助言で廂の間へ移動? よかろう。たとえ藁小屋であろうと、我が孫たる皇子の誕生の地となれば、それは即ち聖地となるのだ!
我は狂ったように命じた。「僧侶を呼べ! 修験者を集めよ! 陰陽師も全員かき集めろ!」彰子の周りを取り囲むように、「よりまし」と呼ばれる霊媒を5組、10組、いや、100組でも用意せよ!
その叫び声、祈りの声が、天をも揺るがすほどに響き渡る。我もまた、声を枯らすまで祈り続けた。「出よ! 生まれよ! 我が孫よ、皇子よ!」
36時間。彰子の陣痛は続いた。我は爪を立てて床を這いつくばり、髪をかき毟り、時に狂ったように笑い、時に激しく泣いた。「彰子、しっかりせよ! 藤原家の未来がお前にかかっているのだぞ!」
そして…ついに! 男児の産声が響いた瞬間、我は天にも昇る心地であった。「やった! ついに成し遂げたのだ!」と絶叫し、その場に崩れ落ちた。
だが、油断は禁物。後産が下りるまでは安心できぬ。「祈れ! もっと祈れ!」と我は叫び続けた。全員で祈り続けること、それこそが我が孫を、我が家の未来を、この国の行く末を守る唯一の方法なのだ。
これぞ、権力者の宿命。これぞ、我が人生。我は狂喜し、そして絶望し、また歓喜する。この激しい感情の渦こそが、我を動かす原動力なのだ。
聞け! 世の人よ。これが藤原道長の真の姿だ。権力に溺れ、狂気に魅入られ、そして栄華を極めんとする男の姿を! 我こそは、この世の支配者なのだ!
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